前回のポスト、川股の石標(お地蔵さん)に彫られていた「おおやまくわんのんみち」が気になり大山越を散策しました。ここはいつも直接谷の中を歩いていましたが、今回はのんびり昔の人が通った峠道を探しながら歩いてみました。峠道はすこし谷の上を巻いてちゃんと残っています。すこしザレて飛んでいるところはありますがほとんど確認できました。昔の人達がつけている山道はほんとによくできています。
また石標(お地蔵さん)の位置のことも川股の住人に聞くことができました。何度か動かされているとのことでした。またダムが出来る前、峠に至る道は今よりもずっと下にあった、つまり現在は水没しているところです。 ダム竣工前1961年の航空写真
「この地図の作成に当たっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図25000(地図画像)及び数値地図50mメッシュ(標高)を使用したものである。(承認番号 平18総使、第164号)」
こんにちは。最近、阿讃の峠道を歩かれている様ですが
峠道を歩けるのも後少しですね。
白地図もそれなりに面白くピースにとっては机上登山を楽しむだけで
実際に行動するとなると勇気が要りますが国土地理院の地図を
載せて頂くと(峠の本など出版されてますが、地図が大雑把で分かり難い)
あり難いです。
昔の人が(引田~上板)生活路として行き来していた
心意気の詰まった道はどうだったんだろ?と歩いてみたい気に
なります。
こん**は。
そうですね、ヘビや毛虫が出てくるとアサンの籔は厳しいですね。
峠道を歩くのはなかなか趣があっていいです。先日も川股で一本松越えをして上板からお嫁に来た人がたくさんいたという話しを聞きました。阿北、特に板野、上板あたりは香川東部と繋がりが深いのは確かです。交通の便が良くなり人の移動距離は昔の比ではありませんが、一つ山を隔てたお隣との往き来は少なくなっているのかもしれませんね。子供の頃、月に何度か引田から行商の人が海のものをもってきてくれるのを楽しみにしていました。高徳線に乗ると体の倍もありそうな大きな荷物を持った行商のおばさん達をよくを見かけました...その頃は既に峠を歩いてくる人はいなかったと思います。
ちなみに高徳線・引田-板西(板野)が開通したのは昭和10年(1935年)ですから峠がよく使われていたのはそれ以前でしょうね。
ピースさん、山歩きとしても面白いかもしれません。低山だからスキルは必要ないと思いがちですが、なかなか!地形が複雑で見通しの利かない低山歩きは高いところよりずっと難しいように思います。
あとみっくさん今晩は。
阿讃の山もそろそろ終りで花の季節になりますね。
また綺麗な花の写真が見られますね楽しみにしています。
私は三脚はミニしか持っていませんし重いので山には
もって行きません、11日はカメラとレンズをザックに
入れて行くと12キロ位になり重くてしんどかったです。
しげさん、「雨氷」画像拝見しました。
一昨年だったでしょうか雨氷の被害はすごかったですね。
大川原周辺では太い木が氷の重さに耐えきれず根本からボッキリ折れて酷い状態でした。
でも写真を見るとガラス細工みたいで綺麗ですね。