おはようございます。 意欲的な探究心に感動します。 整備された道ばかり走っていると、いつのまにか羊歯を漕いで 未知のルートを歩くことを忘れてしまいます。 やっぱり、自分にとって未知のルートを探求しないとダメですね 色々な刺激を受けています(#^.^#)
こんにちは。 今の卯辰越~川筋(県道41)ができたのは70年代前半だと思います。 以前の車道は電力鉄塔路取りつき鉄梯子のところから右側に降りて川筋集落を通っていたようです。 昔のオタツ越はもう1つ東のコルにありますが車道となると大きく迂回するしかなかったんでしょうね。 1975年の航空写真を見ると41号線の大きくヘアピンを切ったカーブの上の谷には砂防堰堤がありません。 多分大雨ごとに道が流され大変だったのでしょうね。96年の写真には3つの堰堤が見えます。 また工事用の道路やヘリポート跡?がはっきりと写っています。 この道は現在の航空写真でも薄っすら見えていて上部は板野・鳴門の境界稜線までのびています。 20年前なので薮になっているのは覚悟して行ってみました。笑
北側の新ルート開拓ですね!
おはようございます。
猛烈なシダの海を泳いできました。
ハンディを車に忘れてしまいました。
おはようございます。
意欲的な探究心に感動します。
整備された道ばかり走っていると、いつのまにか羊歯を漕いで
未知のルートを歩くことを忘れてしまいます。
やっぱり、自分にとって未知のルートを探求しないとダメですね
色々な刺激を受けています(#^.^#)
こんにちは。
今の卯辰越~川筋(県道41)ができたのは70年代前半だと思います。
以前の車道は電力鉄塔路取りつき鉄梯子のところから右側に降りて川筋集落を通っていたようです。
昔のオタツ越はもう1つ東のコルにありますが車道となると大きく迂回するしかなかったんでしょうね。
1975年の航空写真を見ると41号線の大きくヘアピンを切ったカーブの上の谷には砂防堰堤がありません。
多分大雨ごとに道が流され大変だったのでしょうね。96年の写真には3つの堰堤が見えます。
また工事用の道路やヘリポート跡?がはっきりと写っています。
この道は現在の航空写真でも薄っすら見えていて上部は板野・鳴門の境界稜線までのびています。
20年前なので薮になっているのは覚悟して行ってみました。笑
貴重な航空写真ありがとうございました。