天円山」への4件のフィードバック

  1. このルートは登ったことないです。御嶽神社ルートと、樋殿谷の標柱からのルートしかしりません。抜群の眺望という記憶ですが、変化はないでしょうか。

    あ、前の記事のコメントで藩政末期と書きましたが、大間違いで、どれも慶長年間のようです。時代が徳川に変わる動乱期に、庶民も懸命に生きる道を探していたのでしょうか。大元大明神は、広島から移住した人々が、故郷を偲んで安芸の宮島の神様を分祀願ったもののかなわず、摂社の大元大明神を勧請して帰ったそうです。
    折野は鬼野だったそうで、鬼骨寺が地名のおこりらしいですね。

    • ありがとうございます。
      面白いです!オニノがオリノになったんですね、納得!
      今、お袋が「知らなんだ~、ひとつ利口になった」と言ってます。
      鬼骨寺は由緒あるお寺ですね。年何回かお寺にあるお墓にお参りに行ってますが、鬼の骨があるとか。あそこのイブキの木は凄いです!
       天円山の眺めは最高ですね。今日は淡路の方が綺麗に見えてました。
      状態が良ければ東祖谷の天狗塚あたりまで見えます。
      今日は登山道を一切使わず籔を漕ぎながら尾根を登って頂上へ行きました。(途中車道を串刺し)

  2. 御母堂はお元気でしょうか。お二人ともご存じの、今は亡き従兄弟の菩提寺も同じです。イブキはほんと見事ですね。
    今ウィキぺディア見たら、鬼骨寺の項目があり、折野のことも載ってますね。元は「鬼野」で詠みは今と同じ「おりの」だったとか。
    板野郡史で引いている阿波志の一文には、「鬼籠野」と書かれております。「おろの」が転訛したのかもしれませんね。今も鬼野のままの方が面白かったのに・・・。

    • こんばんは。
      お陰様で元気にしています!
      「もう止めな」と言っていますが、まだ運転してるんですよ。
      折野より鬼野(鬼籠野は神山町にあるので)の方ががずっといいですね。

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