山の中を歩いているといろんなものに遭遇します。近くに何も看板が出てなかったので不法な罠でしょう。ワイヤにも少し錆が出てたので撤去し忘れたののかもしれません。かなり大きなシシで70キロくらいはあったと思います。(既に絶命)かなり暴れた跡があります。生きて走っているシシは数知れず見てますが、死んでいるのに出くわしたのはこの冬3頭目。
この罠は犬がかかってしまうことがよくあり里山に仕掛けるのは問題があるかもしれない。
鳥瞰図
概念図
断面図
取りつき
取りつくとすぐ深いシダ、このルートは荒れ放題!
今回の目的は昨年起こした一本松道のお地蔵さんのチェックです。

案の定、酷い状態でした。台座から4mほど転げ落ちています。前回は何も道具を持っていなかったので倒れたお地蔵さんを起こすだけでしたが。今日は不安定な台座を固定し、その上にお地蔵さんを乗せます。道標を兼ねたこのお地蔵さん(天保12年/1841)の重量はかなりのもので60キロはありそうです。兼仲さんになったつもりで頑張ります!
そこの人じっと見てないで手伝ってよ!(この格好に爆笑)
Well-done! お供えをして作業終了、のんびり峠へ向かいます。
「大師水」 こちらも崩れかけています。
指定は受けてないと思いますが、上板町の重要な史跡の一つです。お隣の板野のように町が力を入れて整備をしてくれるといいのですが...、観音道の方に力が入っているのかな?町が整備した?という話は聞いたことがない!
これまで北灘の折野川より東の山(板ヶ谷・日の丸山・内谷山・天円山周辺)はよく歩いたものの、大須や三津の南側の山は興味がなくほとんど歩いたことがありませんでした。大麻山の77番鉄塔や卯辰コースから北西方向を眺めるとその理由がお分かりいただけると思います。食わず嫌いなのかもしれないので少し歩いてみることにします。ベタノ谷入口の鉄塔路からとりつきました。
今はこんなになってますが、昔はここに折野・三津に至る峠道がありました。40数年前、中学生の頃、折野にいる祖父母の所へ行くため独りで自転車を押してこの峠を越したことがあります。半分崩れた道、谷筋には龍でも出てきそうな不気味な池がある寂しいところでした。怖くて半泣きだったのを覚えています。今は好んで寂しいところへ行っていますが...笑 関連ページ/大須~大坂峠 2012/02/14
概念図 反時計回りで周回
断面図
三等三角点 三ツ山 350.1m
少しの間稜線を散策し適当な谷を大須方向へ降りる、途中不気味なケルンが所々にある。
大須、下降点にある祠
大須からの眺め 右のピークが三角点(三ッ山)
海・11号線方向
尾根のシダ漕ぎを嫌い谷を詰めるが砂岩の大岩でガラガラ。
お昼前に埋蔵文化財総合センターのK氏を訪ね、その脚で近所の蔵佐周辺を彷徨ってきました。センターの駐車場から眺めるていると1つ気になる谷があったので詰めることにしました。帰りはこれまで何度か登っている蔵佐から青龍神社へ至る昔の山道をのんびり下降。この山道は松谷から尾根を挟んで上がってきた木馬道と305独標手前で合流。部分的に大シダで覆われていますがちゃんと残っています。
関連ページ 2012/01/31 2012/01/28 2008/02/10
反時計回りで周回、青龍神社を経由しようと思ったけど意志が弱いので巻きました。
籔を代表する厄介なツル植物ですが、鈎の部分を煎じて服用すると精神安定、血圧降下、鎮痙攣、鎮痛などの作用がある「釣藤鉤」という漢方薬になるようです。
昭和9年(1934年)の板西町と板東町周辺の地形図です。現在、山際は高松道が通っているのでかなり様子が違っています。リューネの森やかつての板東俘虜収容所北側の千石山・万石山周辺は陸軍演習場になっていて、万石山頂上には今も陸軍用地という石杭が残っています。
また板西の高尾山周辺の山道も載っています。最近人気の登山道も高速道路のために取りつき位置の変更を余儀なくされていますが、昔の山道をほぼ忠実に復元している素晴らしいコースだということが分かります。三軒家奥からもう一本高尾山の南に向け山道が上がっているのも興味があります。
引田側から大山寺を目指します。ルートは川股→大山越→大山寺です。
関連ページ 2012/03/10 2012/03/12
左 一本松道 相生村 右千足林道 昭和九年と彫られています。
ひだりいっぽんまつみち みぎおおやまくわんのんみち
鳥瞰図
「この地図の作成に当たっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図25000(地図画像)及び数値地図50mメッシュ(標高)を使用したものである。(承認番号 平18総使、第164号)」
コースの断面図
川股ダム
倒木を退けながら峠道を登る
大山越手前 コルが見えてきました。
大山寺着
雪と弁慶銀杏
引田から大山寺のお参りは大山越を、神宅へは一本松越を歩いていたのでしょう。
また古地図には板野の松阪村へ抜ける黒谷越という峠も載っています。